人とのつながりを得るにはまず自分をまとめる必要があるのではないか

昨日は漫画を読んだ。

行ったことがなかったレンタルショップに行ってまで。

漫画を読んだ理由は、人恋しさだろう。

誕生日だから普段と何か違うことがしたかった。

猫を飼いたかったので猫カフェに行こうとしたが、いけなかった。

そこで、ブログを書こうとした。

ブログを書いたのも人とのつながりが欲しかったからだ。

漫画も登場人物の人とのつながりがあって物語が成り立っている。

今日はアルバイトがあるので、人と接することができるだろう。

アルバイトが楽しみだ。

仕事によって人とのつながりを感じることが、どれほど大切なものか、実感できるようになってきた。

しっかり、今日いちにち過ごしたい。

それと文章を書くことによる自己対話が自分の混乱を救ってくれる。

自己対話がとにかく僕にとっては重要だ。

どうにかして、この自己対話を他人に共有できる形で残していければ、と思う。

自己対話ができれば何でもできるはずだ。

自分が望んだことに関しては。

それくらい重要なこと。

自己対話によって自分のまとまりをこまめに取り戻すようにしたい。

自分のまとまりを維持するための自己対話。

こういうテーマをもっと深めて、自分の習慣に生かしていきたいな。

人とのつながりを持つ前には、自分がまとまっていないといけない。

asd:自由がこわい

何か、ブログが全然モチベーションわかない。

自分で書いた記事が主観的で全然良くなかったように思えて、自信を失ってしまった。

情報発信できてないと思えてしまった。

先が思いやられてしまったのでこれからブログに時間をかけてもうまくできるのか不安になってしまった。

だから、ブログを書きたくなくなってしまい、手が動かなくなってしまった。

そういうことだ、結構頑張ったのに、ちょっとがっかりだった。

理想と現実のギャップというよりも、何が書きたかったのかがはっきりしてなかった。

形が決まってないことが不安なんだ。

何をどこまで書けばいいのか、それは自分で決めるしかない。

自由が僕にとっては嫌なんだ。

自由が何か重荷になってしまう。

そういうことなんだ。

だから、最初に箱を決める必要があるのかもしれない。

書くことも重要だけど。

自分は書くことができないので、まず書こうと頑張ってみたのだ、思い出してみれば。

十分自分としては、頑張ったのだから、今度は、何をどう書けばいいのか、もう少し、具体的に考えて、イメージして、ルールを作ってみよう。

asd:自分の感情が掴みづらい

昨日はasd関連の書籍と税金関係の書籍を図書館に借りに行きました。

それと髪も切ってきました。

今までの髪型に戻れて気分もスッキリです。

今日は猫カフェに行ってみようかと思ったものの、近くのお店が休みのため、断念。

これから何しようかと思案に暮れています。

自閉症でもできないことを受け入れてる人もいて、自閉症を僕も特性と捉えられるようになれた気がしました。

自閉症の情報をまとめていければなんてことを考えたりしたっけ。

猫カフェに行って猫に触れてみたかったのにできなくてちょっとがっかり。

洗濯しようかと思ったけど、雪なので、洗濯せず過ごしている。

レインマンを借りたかったのを思い出した。

やっぱり書かないとぼーっとしてしまう。

人とのつながりを感じられるように何か対策をしたい。

そういえば、当事者会があったけど今月はいいかな。

もう今日も終わってしまう。

はー今日に限って猫カフェが休日なんてツイテナイナー

猫飼いたいなー

でも経済力がないから無理なんだろうなー

今日は家でゆっくり借りてきた本を読めればいいかな。

先生には社会に興味が出てきた、社会とのつながりを感じられるようになったということを伝えたいな。

なんか、今の状態って自分がバラバラな感じ。

なんだろう、一人で寂しいのかな。

誕生日だから、何か記念になることしたくて、猫カフェに行きたかったんだ。

猫と生活すれば自閉的な部分も変わってくるだろうし、そのために、猫と実際に触れ合ってみる、自分の生活を変える一歩だったのもあるけど、誕生日だから、記念に何かいつもと変わったことをしたかったんだ。

だから、悲しいんだ。

そう、悲しい。

何か、自分がまとまってきた。

どうしようかな。

さて、今日は遠出してみようかな。

asd:書くことで存在できる

asdの特性なのか毎日先のことを思いやって不安に感じている。

たまに希望を持てる瞬間もあるが、ほとんど憂鬱な気分だ。

特に心理士の先生に、人と繋がるということはどんな感覚なのか教えてもらってから、社会に出て行くことが億劫になってしまった。

人と繋がることが、豊かなことというよりも、ショッキングな出来事という感覚が強いため、自閉的な感じになってしまっている。

たまに外に出て行って人と話すとそれなりに楽しめたりするが、なんだか自分が生きている実感がわかない。

人と繋がることがわかったからこそ、孤独は嫌だと思うのだが、逆に、社会には出づらくなってしまった。

僕はこうして、物を書いている方が、自分に合っている気がする。

僕はasdであることを隠して、専門家とだけasdである自分をコミュニケーションして生きていくのが嫌になってきた。というようりも、しんどくなってきた。誰か僕の特性を理解してくれる人が、欲しいと思うし、誰かに自分の特性を打ち明けてしまいたいとも思う。

今日は、ぼーっとしてる自分に気合を入れるために、散髪の予約をしたので、髪を切ってくる予定。

なんか憂鬱だなー。

なんでこんな障害を持って生まれてきたんでしょう。

最近、人とのつながりをいかに得るかということに興味があって、レインマンという映画を見てみたいと思っていました。

ツタヤで借りてみようかな。

今は本当に将来のことを考えて、目標を立てたり、行動したりという、気力が全く湧きません。

いかに、心理士の先生なしの生活が辛いものなのか、理解できて自覚できるようになってしまったからなのか。。

今の自分の生活のつながりのなさに、立ち往生しているといった感じか。

その分、メディアに流れる情報に左右されて、自信を失ったりということが多くなったように思う。

最近、猫を飼いたいと思うようになった。

自分は、とにかく人のことを信頼できず、そうした特徴は、まさに動物のよう。

そういう自己認識も手伝ってか、以前にも増して、猫に興味を持つように。

ずっとyoutubeの猫動画を見ています。

心理士の先生がいないから、その代わりに猫を見ていたいのだろう。

虐待された犬は、外に出ても車や通行人が怖くて、電信柱に隠れたままという、映像を見たことがあるが、引きこもりしてる頃の自分も、この犬とそっくりだと思ったことがある。

そういう点で、僕は動物みたいなもの。

人は、他人に出会っても威嚇はしないが、動物はする。

僕は他人に出会っても、威嚇はしないが、つながりを感じられず、混乱するばかり。

僕は動物みたいなものだから、人といるより猫といる方が気楽なのだ。

そんなことを自覚してしまったら、社会に出るのが億劫になるのも無理はないか。

自分の快不快に自覚的になっただけマシとしよう。

少し気分が晴れてきた。

こんな風にやっぱり自分の脳内の自己対話?をアウトプットしないと気分が落ち込んでいくばかり。

書いていれば、自分を客観視できる。

快不快がわかっただけ成長だとい思えたように。

でも書かないで、頭の中で考え事をしているだけだと、それは考え事というよりも、何か一つの考えに支配されて抜け出せなくなってしまい、ぼーっと時間を過ごしてしまう。

結果、抽象的な意味で、その場所から抜け出せなくなってしまい、周りに置いていかれてしまう。

やっぱり書くことは自分を保つために必要なことなんだ。