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asd:書くことで存在できる

asdの特性なのか毎日先のことを思いやって不安に感じている。

たまに希望を持てる瞬間もあるが、ほとんど憂鬱な気分だ。

特に心理士の先生に、人と繋がるということはどんな感覚なのか教えてもらってから、社会に出て行くことが億劫になってしまった。

人と繋がることが、豊かなことというよりも、ショッキングな出来事という感覚が強いため、自閉的な感じになってしまっている。

たまに外に出て行って人と話すとそれなりに楽しめたりするが、なんだか自分が生きている実感がわかない。

人と繋がることがわかったからこそ、孤独は嫌だと思うのだが、逆に、社会には出づらくなってしまった。

僕はこうして、物を書いている方が、自分に合っている気がする。

僕はasdであることを隠して、専門家とだけasdである自分をコミュニケーションして生きていくのが嫌になってきた。というようりも、しんどくなってきた。誰か僕の特性を理解してくれる人が、欲しいと思うし、誰かに自分の特性を打ち明けてしまいたいとも思う。

今日は、ぼーっとしてる自分に気合を入れるために、散髪の予約をしたので、髪を切ってくる予定。

なんか憂鬱だなー。

なんでこんな障害を持って生まれてきたんでしょう。

最近、人とのつながりをいかに得るかということに興味があって、レインマンという映画を見てみたいと思っていました。

ツタヤで借りてみようかな。

今は本当に将来のことを考えて、目標を立てたり、行動したりという、気力が全く湧きません。

いかに、心理士の先生なしの生活が辛いものなのか、理解できて自覚できるようになってしまったからなのか。。

今の自分の生活のつながりのなさに、立ち往生しているといった感じか。

その分、メディアに流れる情報に左右されて、自信を失ったりということが多くなったように思う。

最近、猫を飼いたいと思うようになった。

自分は、とにかく人のことを信頼できず、そうした特徴は、まさに動物のよう。

そういう自己認識も手伝ってか、以前にも増して、猫に興味を持つように。

ずっとyoutubeの猫動画を見ています。

心理士の先生がいないから、その代わりに猫を見ていたいのだろう。

虐待された犬は、外に出ても車や通行人が怖くて、電信柱に隠れたままという、映像を見たことがあるが、引きこもりしてる頃の自分も、この犬とそっくりだと思ったことがある。

そういう点で、僕は動物みたいなもの。

人は、他人に出会っても威嚇はしないが、動物はする。

僕は他人に出会っても、威嚇はしないが、つながりを感じられず、混乱するばかり。

僕は動物みたいなものだから、人といるより猫といる方が気楽なのだ。

そんなことを自覚してしまったら、社会に出るのが億劫になるのも無理はないか。

自分の快不快に自覚的になっただけマシとしよう。

少し気分が晴れてきた。

こんな風にやっぱり自分の脳内の自己対話?をアウトプットしないと気分が落ち込んでいくばかり。

書いていれば、自分を客観視できる。

快不快がわかっただけ成長だとい思えたように。

でも書かないで、頭の中で考え事をしているだけだと、それは考え事というよりも、何か一つの考えに支配されて抜け出せなくなってしまい、ぼーっと時間を過ごしてしまう。

結果、抽象的な意味で、その場所から抜け出せなくなってしまい、周りに置いていかれてしまう。

やっぱり書くことは自分を保つために必要なことなんだ。